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「トマトが、ヨーロッパで200年間も『悪魔の実』と呼ばれて食べられなかったって知っていますか?」
サラダ、パスタ、ピザ、カレー、味噌汁の隠し味──世界中のあらゆる料理に当たり前のように使われているトマト。けれどその一つには、アンデスの野生種から始まる壮大な旅と、ヨーロッパで「狼の桃」と恐れられた歴史、そして日本の食卓を変えた一品種の誕生秘話が詰まっています。
この記事では、書店の図鑑には載っていない切り口で、トマトを深く掘り下げていきます。ヨーロッパで「悪魔の実」と恐れられた200年、江戸時代の絵師・狩野探幽が描いた日本最古のトマト、1985年「桃太郎」が日本市場を一変させた革命、スペインで毎年120トンのトマトが投げ合われる祭り、そして1893年アメリカ最高裁の「トマトは野菜だ」判決──。
子どもには「へぇ!」を、大人には「そうだったのか」を。読み終わるころには、明日の食卓のトマトひとつが、世界の物語を語り始めるはずです。
🍅 1. トマトは「液果(ベリー)」── ナス科の兄弟関係

アンデスの野生種→アステカ族の栽培→コルテスを経てヨーロッパへ
まずは植物学から。トマトが分類上は「果物」だったというのは、有名な話です。
植物学では果物、料理では野菜
トマトの学名はSolanum lycopersicum。「lycopersicum」はギリシャ語で「狼の桃」の意味です。ナス科ナス属の一年草(原産地では多年草)で、果実は植物学的には「液果(ベリー)」── ブルーベリーやスイカと同じ仲間に分類されます。
でも、料理の世界ではトマトは「野菜」として扱われます。この曖昧さが、後にアメリカ最高裁まで巻き込む大論争を生んだのです(詳細は後述)。
じゃがいも・なす・ピーマンとは兄弟
トマトと同じナス科の野菜を並べてみると、思いがけない顔ぶれが現れます。
これらすべて、花が星形の5弁花を咲かせるのが共通の特徴。トマトの葉をよく見ると、なすやじゃがいもの葉と意外と似ています。世界の食卓を支える有名な野菜たちが、じつは同じ家族なのです。
葉と茎には毒、果実は安全
ここでひとつ、家庭菜園を始める方に重要な情報を。トマトの葉と茎には「トマチン」という毒が含まれています。ナス科に共通する配糖体アルカロイドで、じゃがいもの芽の「ソラニン」と似た仲間です。
果実は完熟するとトマチンが激減するので、私たちが食べる赤いトマトはまったく安全。一方で、葉や茎を大量に摂取するのは控えるべきです。子どもが家庭菜園でトマトを育てるとき、葉や茎を口に入れないように見守りましょう。
※体調に不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
1893年、アメリカ最高裁の「トマトは野菜だ」判決
1893年、アメリカ最高裁が下したNix v. Hedden事件の判決で、「トマトは植物学的には果物だが、料理では野菜である」と公式に認定されました。きっかけは関税。当時のアメリカでは野菜に関税がかかり、果物には関税がかからなかったため、輸入業者と税関が法廷で激しく争ったのです。世界で唯一、最高裁が「野菜だ」と判決した果物──それがトマトです。
📜 2. アンデスの「狼の桃」から世界の食卓へ ─ 12,000年の旅
トマトの故郷は、意外な場所です。
南米アンデス山脈の野生種から始まった
トマトの祖先は、南米アンデス山脈の高原地帯(現在のペルー・エクアドル・チリ北部)に自生していました。野生種はガラパゴス諸島にも分布していたとされます。当時のトマトは、私たちが知る赤くて大きな実とはまるで違って、豆粒大の小さな黄色い実でした。
アステカ族が「tomatl」と名付けた
紀元前1000年頃、中米メキシコのアステカ族の祖先が本格的にトマトを栽培し始めます。彼らはトマトを「tomatl(トマトル)」=「膨らんだ果実」と呼びました。これが、現在の「トマト」「tomato」「tomate」など世界中の呼び名の語源です。
アステカでは、トマトを使ったサルサソースの原型が作られていました。古代から、人類はトマトソースで料理を楽しんできたわけです。
1519年、コルテスがヨーロッパへ
1519年、スペインのエルナン・コルテスがアステカ帝国を征服したとき、トマトの種をヨーロッパへ持ち帰りました。これが世界中へ広がる第一歩です。
ところが、ヨーロッパでのトマトの旅は、決して順風満帆ではありませんでした──。
👹 3. ヨーロッパで200年「悪魔の実」と呼ばれた ─ 黄色から赤へ
16世紀末、ヨーロッパに伝わったトマトは、なんと「悪魔の実(Devil’s fruit)」「狼の桃(Wolf peach)」と呼ばれて、食べられずに観賞用の鉢植えとして扱われていました。
ベラドンナと似ていたから恐れられた
当時のヨーロッパには、ベラドンナ・マンドラゴラといった猛毒のナス科の植物がありました。中世魔女裁判の時代、これらは「魔女の毒草」として恐れられていた植物です。
そこに登場したトマト。葉の形がベラドンナと似ていて、赤い実が毒々しく見えたのです。「これは新大陸の悪魔の実だ。食べたら死ぬ」── そう信じられて、約200年間ほぼ食べられませんでした。
イタリア語「Pomodoro(金のリンゴ)」── 初めは黄色だった
面白いのは、最初にヨーロッパに伝わったトマトは黄色だったということ。だからイタリア語ではトマトを「Pomodoro(ポモドーロ)」=「Pomo d’oro(金のリンゴ)」と呼びます。今でもイタリア人にとってトマトは「ポモドーロ」── 金色の名残です。
フランス語では「Pomme d’amour(ポム・ダムール)」=「愛のリンゴ」。媚薬として用いられた歴史があるからです。一つの植物に、これだけ多彩な名前がついたのは珍しいことです。
1820年、ロバート・ギボン・ジョンソン大佐の伝説
アメリカでも長らく「毒草」と恐れられていたトマト。決定的な転機は1820年。アメリカ・ニュージャージー州で、ロバート・ギボン・ジョンソン大佐が裁判所の階段の上で、大勢の群衆の前でトマトを丸ごとかじってみせたと伝えられています。
群衆は息を呑んで見守りました。「彼は死ぬぞ」と。ところが大佐は元気そのもの。「安全宣言」の伝説を経て、アメリカでトマト食用化が一気に進んだとされます。(※史実というより伝説に近い逸話ですが、トマトの普及には何らかの「安全証明」が必要だった文化的背景を物語っています)
1692年、世界初のトマトソースレシピ
イタリアでは、トマトへの愛着が早く花開きました。1692年、ナポリの料理人アントニオ・ラティーニが著書『Lo Scalco alla Moderna』に世界初のトマトソースレシピを記録します。これが、後のピザ・パスタ文化の起点です。

最初は黄色(金のリンゴ)、毒草ベラドンナと似ていたから恐れられた
ナポリピッツァ・マルゲリータはイタリア国旗
1889年、ナポリのピザ職人ラファエレ・エスポジトがイタリア王妃マルゲリータのために考案したのが「ピッツァ・マルゲリータ」。トマト(赤)・モッツァレラ(白)・バジル(緑)の3色は、イタリア国旗そのまま。トマトが、ヨーロッパの国民食どころか国の象徴にまで昇格した瞬間です。「悪魔の実」と呼ばれた時代から、わずか100年あまりの大変身でした。
🇯🇵 4. 江戸時代「唐なすび」── 狩野探幽が描いた日本最古のトマト
日本のトマト史も、世界に負けない興味深い物語があります。
17世紀半ば、長崎経由でオランダから伝来
トマトが日本に伝わったのは、17世紀半ば(江戸時代初期)。長崎の出島にやってきたオランダ船が運んできました。けれどヨーロッパと同じく、日本でも当時は観賞用の植物として扱われていました。
1668年、狩野探幽が「唐なすび」として描く
日本のトマトに関する最古の記録は、1668年に遡ります。江戸幕府4代将軍・徳川家綱お抱えの絵師狩野探幽(かのうたんゆう)が、トマトを「唐なすび」という名前でスケッチに残しました(『草花写生図巻』)。日本最古のトマト記録です。
「唐」は中国・外国を指し、「なすび」はナス。「外国から来たナスの仲間」という意味です。同じナス科の植物として正しく認識されていたのは興味深いことです。
1709年、貝原益軒が「唐柿」と命名
1709年、儒学者で本草学者の貝原益軒が著書『大和本草』で、トマトを「唐柿(とうがき)」として紹介しました。赤くて丸い実が、柿のように見えたからです。「赤茄子」「唐茄子」「蕃茄」「六月柿」「珊瑚樹茄子」── 江戸時代の日本人は、トマトに次々と詩的な和名をつけました。
明治時代、食用普及に失敗
明治政府は「蕃茄(あかなす)」として国民に食用普及を試みましたが、失敗します。当時導入された北欧品種は香りが強く酸味が鋭く、日本人の口に合わなかったのです。
日本でトマトが本格的に家庭に定着するのは、もう少し後の話になります。

1668年、狩野探幽が「唐なすび」として日本最古のトマト記録を残した
🍝 5. ナポリタンは横浜生まれ ─ 1946年・ホテルニューグランドの発明
意外な事実から始めましょう。ナポリタンは日本生まれの料理です。本場イタリアにナポリタンはありません。
戦後すぐ、ホテルニューグランド総料理長の閃き
1945年の終戦後、横浜の老舗ホテル「ホテルニューグランド」はGHQ将校の宿舎として接収されていました。その期間中、2代目総料理長・入江茂忠(いりえしげただ)は、米兵が軍用保存食のスパゲッティにトマトケチャップをかけて食べていたのを見て、新しいパスタ料理を考案します。それがナポリタンです。
入江はそれを高級ホテルにふさわしくアレンジしました。トマトケチャップで茹で麺を炒め、ハム・玉ねぎ・ピーマン・マッシュルームを加えるという形になりました。「ナポリタン」という名前は、「ナポリ風」を意識した命名です。
昭和の喫茶店メニューの王様
ナポリタンは戦後の高度経済成長期、昭和の喫茶店メニューの王様として日本中に広まりました。ケチャップの懐かしい甘酸っぱさ、太めの茹で麺、彩りの良い具材── 日本人の心に深く刻まれた、ホームスパンな味です。
本場イタリアの硬めに茹でたアルデンテのパスタとは、まったく別の味わい。日本独自に発展した「和洋折衷」料理として、海外からも注目されています。
1985年、「桃太郎」が日本のトマトを変えた
もう一つの大革命が、1985年。タキイ種苗が「桃太郎」という品種を発売しました。これが、日本のトマト市場を根底から変えた一大事件です。
それまでの大玉トマトは、流通の都合で青いうちに収穫して、輸送中に色づかせるのが一般的でした。だから店頭のトマトは「酸っぱくて青臭い」のが普通だったのです。
ところが「桃太郎」は完熟させても固さが保たれるという画期的な品種でした。これにより、農家は完熟させてから収穫・出荷できるようになり、店頭に「真っ赤に熟して甘い大玉トマト」が並ぶようになったのです。
現在、日本の大玉トマトの約7割が桃太郎系。私たちが「トマト=甘くておいしい」と思えるのは、1985年の桃太郎革命のおかげです。

戦後の横浜・ホテルニューグランド ── 日本独自のパスタ「ナポリタン」
💪 6. リコピンとうま味 ─ 「医者が青くなる」赤い宝石の科学
「トマトが赤くなると医者が青くなる」── ヨーロッパに古くから伝わることわざです。英語では「A tomato a day keeps the doctor away」とも。それほど健康に良い野菜として知られています。
リコピンの抗酸化作用
トマトの赤い色のもとは、リコピンというカロテノイド系の色素。これが強力な抗酸化作用を持つことで知られています。
研究によると、リコピンの抗酸化作用はビタミンEの約100倍、β-カロテンの約2倍とも言われます。体内の活性酸素を抑え、生活習慣病予防に役立つと多くの論文で研究されています。
※リコピンの健康効果には個人差があります。健康目的で特定の食品を摂取される場合は、医療機関や管理栄養士にご相談ください。
リコピンは「加熱+油」で吸収率2〜3倍
面白いのは、リコピンは加熱で吸収率が2〜3倍に上がること。生のサラダよりも、煮込み・トマトソース・トマトスープのほうが、リコピンを効率よく取れます。
さらに、リコピンは油溶性。オリーブオイルで炒めるイタリア式の調理法が、栄養学的にも理にかなっているのです。「悪魔の実」と恐れた時代があったヨーロッパが、いまでは世界一上手にトマトを食べる地域になっているのは、何とも皮肉なめぐり合わせです。
うま味成分グルタミン酸 ─ 「西洋の昆布」
トマトには、もうひとつの主役成分があります。グルタミン酸。これは昆布のうま味と同じ成分です。
世界中で「トマトソースは美味しい」と感じる科学的根拠は、グルタミン酸のうま味にあります。トマト(グルタミン酸)+肉や魚(イノシン酸)を組み合わせると、うま味は単体の7〜8倍に膨らむ「うま味の相乗効果」が働きます(日本うま味調味料協会)。ボロネーゼやミネストローネがあれほど美味しいのは、化学が裏付ける必然なのです。
イタリア料理のプロは、トマトを「西洋の昆布」と呼ぶこともあります。和食の昆布だしと、イタリア料理のトマトベース── どちらもグルタミン酸が決め手という共通点があります。
大玉トマトの主要栄養素
🗾 7. 熊本・北海道・愛知 ── 日本のトマト産地リレーと「桃太郎革命」
日本のトマトは、年間を通してハウス栽培と露地栽培で産地リレーが組まれています。
日本一の産地は熊本県
農林水産省の統計によると、ピーマン・なす・トマトと同じく、トマト生産量No.1は熊本県(約13万トン・全国シェア約18%)。八代平野の安定した気候と、長い日照時間がトマト栽培に最適です。
冬春トマトと夏秋トマトの産地分け
- 冬春トマト(12〜6月):熊本・愛知・千葉・栃木のハウス栽培
- 夏秋トマト(6〜11月):北海道・茨城・福島の露地・ハウス栽培
本来のトマトの旬は初夏〜初秋(6〜9月)ですが、いまや産地リレーで年中食卓に並ぶ野菜になっています。
高知県発「フルーツトマト」の革命
もう一つ、日本のトマト史に欠かせないのがフルーツトマトです。1990年代、高知県日高村・四万十町などで、水分制限栽培という技法で糖度8〜12度(普通のトマトは4〜5度)の超高糖度トマトが生まれました。
これは品種名ではなく、栽培方法のジャンル名。塩分を含む土壌や水を控える栽培で、トマトに「ストレス」を与えると、糖度が劇的に上がるのです。高知県日高村の「シュガートマト」は、いまや全国の高級スーパーの定番です。
🎉 8. スペインの「ラ・トマティーナ」── 120トンのトマト祭り
最後に、トマトの世界文化を彩る、世界一バカげていて世界一楽しいお祭りをご紹介します。
毎年8月最終水曜日、ブニョール村は赤く染まる
スペインの小さな村ブニョール(Buñol)では、毎年8月最終水曜日に世界最大のトマト投げ祭り「ラ・トマティーナ(La Tomatina)」が開催されます。
その規模は驚くべきもので、1日で約120トンのトマトが投げ合われるとされています。世界中から集まる参加者は数万人。村の中心地が、文字通り「トマトジュースの川」に変わります。
1945年、子供同士のケンカから始まった
このお祭りの起源は、1945年にさかのぼります。村のお祭りの行進中に、子どもたちのケンカが起きました。近くの八百屋の屋台のトマトをつかみ、お互いに投げ合った──。これが、毎年恒例のお祭りに発展したと伝えられています。
現在は、参加には白いTシャツ+ゴーグル+古い靴が推奨される完全なる「祝祭」になっています。スペイン政府公認の文化財祭で、世界中の旅行者の夢のひとつです。

1日120トンのトマトが宙を舞う、世界一のトマト祭り「ラ・トマティーナ」
「ポモドーロ・テクニック」── トマト型タイマーが世界の生産性を変えた
1987年、イタリア人のフランチェスコ・シリロが大学生時代に編み出した時間管理術が「ポモドーロ・テクニック」。25分集中+5分休憩を繰り返す方法で、現代では世界中のビジネスパーソンが愛用しています。名前の由来は、シリロが使っていたトマト型のキッチンタイマー。イタリア語で「ポモドーロ=トマト」。トマトが「時間管理」の代名詞にまでなった、不思議な野菜です。
🎵 9. トマトの歌
「たっさん家の図鑑」では、各題材につきオリジナル楽曲を制作し、Spotify・Apple Music・YouTube Music・Amazon Musicなどの主要音楽配信サービスでお届けする予定です。
準備中:12,000年の旅と「金のリンゴから赤い宝石まで」をテーマにした全年齢向け楽曲
Spotify埋め込みプレイヤーをこの位置に挿入予定
楽曲が公開され次第、この記事に埋め込みプレイヤーを追加します。家族で一緒に聴きながら、トマトの物語を想像する読書時間を目指しています。
まとめ:一玉のトマトに、12,000年の物語が眠る
長い記事を最後まで読んでくださってありがとうございます。最後に、この記事で扱った「8つの秘密」を整理しておきます。
- トマトは植物学的には「液果(ベリー)」=果物。じゃがいも・なす・ピーマンと同じナス科の兄弟。ただし1893年アメリカ最高裁が「料理では野菜」と判決。
- 祖先は南米アンデス山脈の野生種。豆粒大の黄色い実だった。紀元前1000年頃、メキシコでアステカ族の祖先が栽培化し「tomatl」と命名。
- 16〜18世紀のヨーロッパで「悪魔の実」「狼の桃」と恐れられ200年間食べられなかった。最初に伝わったのは黄色のトマト、ゆえに伊語「Pomodoro(金のリンゴ)」。
- 日本最古のトマト記録は1668年、狩野探幽が「唐なすび」として描いた絵。江戸時代には観賞用、明治の食用化は香りの強さで失敗。
- ナポリタンは1946年、横浜・ホテルニューグランドで生まれた日本独自のパスタ。1985年タキイ種苗の「桃太郎」が日本市場を一変。
- リコピンの抗酸化作用は加熱+油で吸収率2〜3倍。グルタミン酸は昆布と同じうま味成分──トマトは「西洋の昆布」。
- 熊本県が日本一の産地(全国シェア約18%)。高知県発のフルーツトマトは水分制限栽培で糖度8〜12度を実現した革命。
- スペインの「ラ・トマティーナ」では1日に120トンのトマトが投げ合われる。「ポモドーロ・テクニック」は世界中のビジネスパーソンが使う時間管理術。
明日の食卓に並ぶトマトの一つを口に運ぶとき。「これはアンデスの野生種から、アステカ族の食卓、ヨーロッパの200年の恐怖、江戸時代の絵師、戦後の横浜まで、長い旅をしてきた赤い宝石なんだ」と思い出してみてください。一個のトマトが、世界の歴史を語り始めるはずです。
たっさん家の図書館では、これから食卓の図鑑シリーズとして、さまざまな野菜や果物の知られざる物語を順次お届けしていきます。次回もまた、書店の図鑑には載っていない「家族で楽しめる秘密」をお伝えします。
主な参考情報源:農林水産省「うちの郷土料理」/文部科学省「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」/独立行政法人 農畜産業振興機構(alic)「トマトの生産統計」/熊本県農林水産部/高知県農業振興部/タキイ種苗『桃太郎シリーズ』/ホテルニューグランド「ナポリタン誕生秘話」/Nix v. Hedden (149 U.S. 304, 1893) アメリカ最高裁判決/Antonio Latini『Lo Scalco alla Moderna』(1692)/貝原益軒『大和本草』(1709)/狩野探幽『草花写生図巻』(1668)/La Tomatina 公式(スペイン・ブニョール村)/筑波大学 GABA分析研究 ほか


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